NRA 設立20周年記念資料展の記念講演1) 盛況裡に終了

NRA 設立20周年記念資料展の記念講演1) 盛況裡に終了

↑NRA稲見理事による記念講演の様子

NPO法人名古屋レール・アーカイブスの設立20周年記念資料展は、10月13日(月祝)まで開催中です。詳しくは、こちらをご覧下さい。
その会期中に記念講演が2回予定されています。

●記念講演1 名古屋の鉄道の歴史に迫る 9月21日(日)13:30~
●記念講演2 金山総合駅と都市計画 10月5日(日)13:30~

その初回が9月21日(日)に開催されました。
会場には熱心な聴講者が詰めかけて、次々とスクリーンに提示される画面に見入っていました。その内容等について、ここに報告します。

今回のテーマは「名古屋の鉄道の歴史に迫る」です。講演冒頭に稲見理事から示されたのは、『定説・通説を確認すること』でした。分かりやすい具体例として、鎌倉幕府の成立年が、かつては1192年(いい国つくろう鎌倉幕府)とされていたのが、いまでは1185年が定説となっていることを挙げて、定説・通説は覆されることがあると注意を呼びかけました。

その後、日本の鉄道草創期からはじまる鉄道年表にて、名古屋圏の鉄道敷設の歴史をおさらいします。その上で、JR名古屋駅がはじめてできたときには「名護屋駅」と表記されていたことについて、歴史上「那古野」はあるが「名護屋」の表記はなかったことを説明。佐賀県の名護屋城と混同したためではと推測します。
さらに、熱田駅の当初の位置と2代目名古屋駅を解説したうえで、「定説を検証してみよう」を3つ取り上げました。
(1) 東海道幹線と名古屋駅
(2) 名古屋駅は低湿地に作られた?
(3) 関西鉄道のターミナルは愛知駅?

↓「定説を検証してみよう (1) 東海道幹線と名古屋駅」で提示された2画面
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(1) は、明治初期に東京~大阪を結ぶ幹線が計画された際、名古屋駅を通ることは想定されておらず、中山道沿いに敷設する計画だった中山道幹線を説明。それが東海道幹線に変更された経緯ついて紹介しました。
(2) は、資料等から湿地帯ではないところを通っていることを説明します。
(3) は、現在のJR関西本線にあった駅で、私鉄の関西(かんせい)鉄道が笹島あたりに造った駅です。立派な駅舎からターミナル駅と思われがちですが、上り列車はすべて名古屋駅行、下り列車は愛知駅発だったことを紹介します。

その後、名古屋鉄道と名古屋市電の前身である名古屋電気鉄道が、当初右側通行していた証拠や、当時の車庫はいまの久屋大通にあったと推測されることを紹介。
JR名古屋駅が現在地に移転した際の、笹島貨物駅との関係などを解説します。

いずれも、一次資料を中心に検証した内容で、来場者は最後まで熱心に聴き入っていました。
2週間後となる2回目の講演も、内容に期待が持てると感じていただけたことと思います。
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